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石見銀山とは?日本の世界遺産に登録された銀山の歴史と魅力に迫る

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山陰地方の島根県には、世界に誇る文化遺産の石見銀山があります。
日本国内の世界遺産の中でも、唯一の鉱山として登録されています。
現在は閉山され、観光地となっている石見銀山は、全盛期の頃は日本のシルバーラッシュと呼ばれるほど、世界的に知られた銀山でした。
今回は、世界遺産検定の過去問にも関係する石見銀山のお話を深掘りさせていただきます。

前回の記事は 小笠原諸島が世界遺産に登録された理由とは?自然の特徴と生物多様性でした。

関連記事もチェックしてください:世界遺産として認定された銀山の麓とは石見銀山の歴史と魅力的な価値
こちらもご覧いただくとよく理解できると思います。

世界遺産の石見銀山遺跡とその文化的景観

 

英語表記)Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape
登録区分)文化遺産
登録年)2007年
登録基準)(2), (3), (5)
国内の登録順位)No.14

 

石見銀山とは

石見銀山は、山陰地方の島根県にかつて存在した大規模銀山です。
銀山と名前がついていますが、銀の他にも銅や亜鉛、鉛が採掘され、中世日本の経済を支えた鉱山とされています。

2001年に世界遺産登録のため暫定リストに掲載された石見銀山は、2006年に世界遺産委員会に推薦されます。
ですが、翌年2007年5月の返答には、「登録延期」という事実上の不採用という結果が決まります。
世界遺産委員会の予想外の回答に、日本は政府が歴史や経済、鉱物に関する幅広い専門家を集め「自然に対する配慮」と「産業としての一連の流れ」をまとめた再審査を申し出ます。
改めて行われた6月28日の再審査で石見銀山の普遍的な価値は認められ、文化遺産としての登録が決まります。

石見銀山の産出量と日本のシルバーラッシュ

石見銀山を知る上で、当時の世界に与えた影響と銀の流通の仕組みは押さえておきたいところです。

日本のシルバーラッシュ

最盛期を迎えた17世紀の石見銀山は、年間約38トンの産出量を記録したとあります。
これは、メキシコのポトシ銀山に続く世界第2位の産出量で、世界の銀の3分の1を産出したとされています。

石見銀山で産出され、精錬された銀地金は日本と貿易関係にあったポルトガルとオランダが東アジア地域での支払いに使用し、中国や東南アジアからインドにかけて広く流通していました。

また、石見銀山の付近では人口が20万人を越え、地域に与えた雇用と経済への影響はまさにシルバーラッシュといえます。

銀の採掘から流通までの流れ


貴金属の銀の採掘方法は、金やプラチナとは少々異なります。

アクセサリーに利用されたり地金が投資対象になる主な貴金属は、金 (Au)、銀 (Ag)、白金・プラチナ (Pt)、パラジウム (Pd)です。

金・白金・プラチナ・パラジウムと銀の資産価値は確かなのですが、金属の特徴としては全く異なります。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、金とプラチナはサビがほとんど起こらず、自然の中では他の物質と混じり合うことはありません。

一方、銀は自然の中では硫化銀、塩化銀といった銀鉱石として存在しています。
銀の採掘では、こうした銀鉱物を大量に掘り出し、熱を加え精錬して銀を取り出す必要があります。

元々不純物の少ない金のような小規模な鉱山ではなく、機械化された大規模な鉱山が必要です。

銀の採掘から流通までの流れは、銀鉱石の採掘→銀地金への精錬→湾口までの陸路の運搬→海外への搬出といくつかの段階があります。

石見銀山では、採掘現場の付近で精錬が行われ、銀鉱石から銀地金へ加工されます。

銀地金は、16世紀半ばでは日本海側から海上輸送で京都へ向かっていましたが、江戸幕府が流通量の管理を始めた江戸時代からは中国山地を超えた山陽側の陸路で輸送されるようになります。

政府の管理下に置かれた銀地金は、国内有数の流通港、大阪の堺、ヨーロッパとの貿易の玄関口とされた長崎から海外へ搬出されることになります。

 

なぜ石見銀山だけで高い産出量を得られたのか?

銀山は火山活動が盛んで熱水が地下を行き来したことがある造山帯と呼ばれる地域で採掘されています。

石見銀山で大規模な銀鉱脈が見つかったのは、鎌倉時代の1309年、『石見銀山旧記』という記録に残っています。

採掘が本格化したのは1527年とされ、当時の日本国内では、画期的な灰吹法と呼ばれる最新の精錬技術が取り入れられました。

灰吹法は古代から利用されていた方法に比べ、純度を高めやすく、さらに金と銀を分離できる最新の方法でした。

採掘された銀鉱石を、現地で銀地金に加工できたことで、銀の産出量は飛躍的に増えることになります。

一方で、鉛を使用する灰吹法は、作業員の鉛中毒が起こる危険な精錬方法でもありました。

当時は、銀山の労働者で30歳まで生きられる人はいないといわれるほど、多くの作業員が命を落としたとされています。

戦国時代から江戸時代初期にかけて、シルバーラッシュの時代を迎えた石見銀山ですが1600年代の後半からは、銀の産出量が減少を続け、明治維新後は採掘の中止が繰り返され、1923年に休山することになります。

世界遺産検定公式過去問集(4級)からの例題

 

Q1.「石見銀山遺跡とその文化的景観」などで用いられた、鉱石から効率よく銀を取り出す技術の呼び名は何でしょうか。

              (引用元:p71,2018年3月世界遺産検定4級)


1. 電解法
2. 水銀法
3. 灰吹法
4. 青化法

答え:(3)灰吹法

Q2.銀山に関する次の文中の空欄に当てはまる語句は何でしょうか。

日本の銀産出量の中心であった( )は、17世紀初めには日本の銀産出量のほとんどを産出した
と考えられています。その銀山と周囲の景観が世界遺産に登録されています。
                    (引用元:p84,2018年7月世界遺産検定4級)

1. 佐渡鉱山
2. 石見銀山
3. 上田銀山
4. 軽井沢銀山

答え:(2)石見銀山

Q3.「石見銀山遺跡とその文化的景観」などで見られる、銀などの鉱石をとるための手掘りの坑道の名前は何でしょうか。

             (引用元:p95,2018年9月世界遺産検定4級)


1. 縦穴
2. 間歩
3. 石道
4. 岩通し

答え:(2)間歩

石見銀山遺跡とその文化的景観のまとめ

石見銀山遺跡とその文化的景観のお話はいかがでしたか?
世界遺産検定の過去問は、正解できましたでしょうか?
石見銀山遺跡は、当時の日本国内のみならず、世界経済に大きな影響を与えていました。

最先端の精錬法で、世界に誇る流通量を記録した一方で、劣悪な労働環境で命を落とした作業
員の方がいたことを忘れることはできません。
世界遺産検では、良いことも悲劇的な背景も、両方を学んでおきたいものですね。

次回の記事は 日本世界遺産平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 です!お楽しみに!

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