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世界遺産の中の日本の宝!百舌鳥・古市古墳群の知識を徹底解説

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日本文化発祥の時代から令和の現代まで、近畿地方は文化の中心地というのは間違いありません。
今回の世界遺産は、大阪府が誇る大規模で数多くの古墳です。
今回は、歴史的な背景に触れさせていただきながら、世界遺産として登録された百舌鳥・古市古墳群‐古代日本の墳墓群紹介させていただきます。

前回の記事は世界遺産検定に役立つシリーズ・「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 でした。
こちらもご覧いただくとよく理解できると思います。

百舌鳥・古市古墳群‐古代日本の墳墓群の基本情報

古代日本の歴史と文化を今に伝える百舌鳥・古市古墳群。
この世界遺産は、古墳時代の人々の生活や信仰を感じることができる貴重な場所です。
世界遺産検定の対策や、古墳に関する基本的な知識を身につけたい方は、この記事を参考にしてください。
深い歴史の中に隠された魅力を、一緒に探求してみましょう。

 

英語表記)Mozu-Furuichi Kofun Group: Mounded Tombs of Ancient Japan
登録区分)文化遺産
登録年)2019年
登録基準)(3), (4)
国内の登録順位)No.23

百舌鳥・古市古墳群は、大阪府内にある45件49基の古墳の集まりです。
地上からはわかりにくいのですが、空から撮影した映像では、町中にいくつもの古墳があることがわかります。
百舌鳥・古市古墳群は、堺市、羽曳野市、藤井寺市の3つの自治体にかけて点在し、堺市側を百舌鳥エリア、羽曳野市と藤井寺市側を古市エリアとしています。
堺市側の百舌鳥エリアでは、仁徳天皇が奉られる大規模な大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)が有名です。
古市エリアでは、応神天皇が奉られる誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)があり、こちらも大規模な前方後円墳です。

 

古墳の中でも百舌鳥・古市古墳群が注目される理由

古墳は、「盛土(封土)をした古代の墳墓」という意味があり、日本や中国、韓国などの東アジア地域で見られる歴史的な遺跡です。
日本の古墳は、3世紀半ばの弥生時代から7世紀頃の飛鳥時代のにかけての有力者のお墓とされています。
弥生時代後期から4世紀にかけては、後に古墳時代と呼ばれるほど、皇族を含む地域の有力者によって盛んに古墳が築かれていました。
古墳はいくつかの形で分けられ、円形の円墳、四角形や台形の方墳が基本的な形です。
円墳と方墳2つを合わせた前方後円墳が有名で、現代でも知られている有力者の古墳は山が2つある前方後円墳・前方後方墳・双円墳・双方墳など大規模な古墳が多くを占めます。

全国の中で近畿地方に古墳が多いのは?

古墳は3世紀半ばの弥生時代から作られたとされ、建設から1000年以上の時間が経つものもあります。
時間の流れとともに、里山として利用されていたり、宅地の一角として現在の都市の中に取り込まれていたりと、必ずしも堀で囲まれた形で残っているわけではないようです。
もしかすると、未だ発見されていない古墳が公園の一角の小山だったりするのかもしれません。
また、古墳は日本全国に残っていますが、数には偏りがあることが明らかになっています。

都道府県別に調査済みの古墳の数は、次のような順位になっています。
第1位 兵庫県(17,647基)
第2位 鳥取県(12,546基)
第3位 京都府(11,556基)
第4位 岡山県(11,038基)
第5位 千葉県(10,494基)

大まかに関東と関西に分けてみると、第5位の千葉県以外は関西の都道府県が上位を占めています。
特に第1位の兵庫県、第3位の京都府は近畿地方の都道府県が入っており、他にも8位に奈良県、13位に大阪府と近畿地方に古墳が多いことがわかります。
古墳はなぜ近畿地方に多いのでしょうか?
それは、日本の歴史に隠されています。

日本の中心とされていた近畿地方

現在の日本国につながる、天皇陛下を中心としたヤマト王権は九州地方から始まったとされています。
ヤマト王権以前、倭国と呼ばれた政権は九州地方から中国・四国地方を経て、近畿地方一帯へ勢力を伸ばします。
当時の日本には、蝦夷と呼ばれる関東・東北の勢力や縄文時代から続く地方の小規模勢力もありました。
倭国が周辺の有力者と同盟や抗争を重ねて規模を拡大し、近畿地方にヤマト王権を築いたとされてます。
日本列島の中でも温暖で、風雨の穏やかな内海に面した近畿地方は、政権の拠点を置く地域としては最適で、日本の歴史の半分以上の期間政治と経済の中心として栄えてきました。

江戸時代初期までの日本国内では、西の地域ほど文化が発展していました。
特に政権の中枢が置かれた近畿地方には、古墳をはじめとした歴史的建造物が数多く残されています。

なぜ世界遺産に登録されたのか

百舌鳥・古市古墳群は、日本の古墳文化を代表する重要な遺跡の一つとして、2019年に世界遺産に登録されました。
その背後には、この古墳群が古代日本の政治・文化の中心地であったこと、そして独特の埴輪文化や墳墳の造営技術が高く評価されたためです。

他の世界遺産との違い

世界遺産には多くの古代遺跡が登録されていますが、百舌鳥・古市古墳群は、日本独特の古墳文化を持つ点で他の遺産と一線を画しています。
特に、巨大な前方後円墳や独特の埴輪文化は、世界的にも希少な文化遺産として注目されています。

古墳時代の歴史的背景

古墳時代は、3世紀から7世紀にかけての日本の時代を指します。
この時代は、強大な権力を持つ王や首長が現れ、大規模な古墳を築くことでその権威を示す時代でした。
百舌鳥・古市古墳群も、その中心的な役割を果たした地域として知られています。

 

墳墳の役割と意義

古墳は、死者を埋葬するための墓ではあるものの、単なる墓としての役割だけでなく、生者に対するメッセージや権威の象徴としての役割も果たしていました。
特に、巨大な前方後円墳は、王や首長の権威を示すためのものとされています。

古墳の形状と特徴

百舌鳥・古市古墳群には、前方後円墳をはじめとするさまざまな形状の古墳が存在します。
これらの古墳は、その形状や大きさ、埴輪の配置などによって、築造された時期や埋葬された人物の地位を知る手がかりとなっています。

古墳内部の構造

古墳の内部には、石室や木棺が設けられ、死者が埋葬されていました。
また、副葬品として、武器や装飾品、土器などが多数出土しており、これらの品々から当時の生活や信仰を知ることができます。

百舌鳥・古市古墳群の主な古墳

百舌鳥・古市古墳群には、多くの古墳が存在しますが、中でも「仁徳天皇陵」とされる二上山古墳や、巨大な円墳である五条大塚古墳などが有名です。
これらの古墳は、その規模や形状、埴輪の配置などから、古墳時代の中心的な役割を果たしていたことが伺えます。

埴輪の種類と意義

埴輪は、古墳の上や周囲に配置される土製の人形や動物の形をしたもので、祭祀や死者の魂を鎮めるためのものとされています。
百舌鳥・古市古墳群からは、盾形埴輪や家形埴輪など、さまざまな種類の埴輪が出土しており、それぞれが持つ意義や役割についての研究が進められています。

世界遺産検定とは

世界遺産検定は、世界遺産に関する知識を問う試験で、多くの人々が参加しています。
この検定を通じて、世界遺産の価値や意義を深く理解することができます。

 百舌鳥・古市古墳群に関する問題

世界遺産検定には、百舌鳥・古市古墳群に関する問題も出題されます。これらの問題を通じて、古墳群の歴史や文化、構造などの詳細な知識を身につけることができます。

古代日本の墳墓文化

古代日本の墳墓文化は、古墳時代を中心に発展しました。この時代の墳墓は、王や首長の権威を示すためのものとして、また、死者の魂を鎮めるためのものとして築かれました。

墳墓の変遷

古墳時代以降、墳墓の形状や構造は変遷してきました。
初期の古墳は、小規模な円墳が主でしたが、時代が進むにつれて、前方後円墳や大規模な円墳が築かれるようになりました。

 

世界遺産検定公式過去問集(4級)からの例題

Q1.( )に当てはまる用語を選びなさい。世界遺産検定4級

『百舌鳥・古市古墳群』には、日本最大の前方後円墳である( )陵が含まれる。

1.仁徳天皇
2.天智天皇
3.天武天皇
4.桓武天皇

正解:(1)仁徳天皇

 

まとめ

百舌鳥・古市古墳群‐古代日本の墳墓群紹介のお話は、いかがでしたか?
2019年に登録されたばかりの文化遺産のため、世界遺産検定の過去問は簡単でしたかと思います。
古墳をはじめとした日本の歴史的建造物は、海外からの観光客が再び訪れるようになり、注目を集めています。
百舌鳥・古市古墳群‐古代日本の墳墓群に登録されている49の古墳の中でも、最大規模の前方後円墳「仁徳天皇陵、大仙陵古墳」については、解答できるようになりたいですね。

百舌鳥・古市古墳群は、古代日本の国家形成の歴史を物語る貴重な遺跡群です。
仁徳天皇陵をはじめとする多くの古墳が点在し、その壮大さや美しさには訪れる者を魅了します。世界遺産としての認定も受けており、国内外から多くの観光客が訪れる場所となっています。

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