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世界遺産ペルセポリスの魅力と見どころ・歴史の遺産古代ペルシャの栄華を今に伝える

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世界遺産の中には、エジプトの「メンフィスとその墓地遺跡」のように建造当時に近い遺跡もあり、観光地や特集番組で有名です。
一方で、同じ遺跡の中でも、建築物の一部や跡地が文化遺産として登録される遺構と呼ばれるものもあります。
中東の世界遺産、ペルセポリスもそのひとつです。

前回の記事は フランスのモンサンミシェルとその湾:息をのむ美しさの世界遺産  でした。

ペルセポリスとは?その歴史と背景を徹底解説

ペルセポリスは、イランにある古代ペルシャの遺跡であり、ユネスコの世界遺産に登録されています。
紀元前518年にダレイオス1世によって建設が始まり、その後のペルシャ帝国の中心地として栄えました。
ペルセポリスは、ペルシャ帝国の偉大さとその文化の繁栄を象徴する都市であり、ダレイオス1世やクセルクセス1世といった偉大な王たちの貢献が色濃く残る場所です。

ペルセポリスの見どころアパダナ宮殿

アパダナ宮殿は、ペルセポリスの中でも最も壮大な建物の一つであり、儀式や重要な会議が行われた場所です。
柱廊と彫刻が美しく、特に「ペルシャの兵士たち」を描いたレリーフは圧巻です。

タチャラ宮殿

ダレイオス1世が個人的な住居として使用したタチャラ宮殿も見逃せません。
この宮殿は「鏡の宮殿」とも呼ばれ、繊細な彫刻と石の装飾が見事です。

タチャラ宮殿の石造りの構造と柱は、その建築美を物語ります。乾燥した険しい風景に囲まれた宮殿は、古代の栄光を今に伝えています。観光客が探索する様子が見られます。

ハディシュ宮殿

クセルクセス1世が建設したハディシュ宮殿は、彼の名を冠した豪華な建物で、広大な敷地と装飾の美しさが特徴です。

ペルセポリスのハディシュ宮殿
美しいレリーフ彫刻が施された大きな石造りの構造が特徴的なハディシュ宮殿。暖かい日差しが古代の石に陰影をつけ、その質感を際立たせています。観光客が訪れ、その壮大さを体感しています。

王の墓と石碑

ペルセポリスの背後の丘には、ダレイオス1世や他の王たちの墓があります。これらの墓には、ペルシャ帝国の栄光を讃える彫刻と碑文が刻まれています。

ペルセポリスの王の墓
ペルセポリスの背後の崖に刻まれた王の墓。複雑な彫刻と碑文が施された岩窟墓は、ペルシャ帝国の偉大な王たちを偲ばせます。険しい乾燥した風景に囲まれたこの場所には、わずかな植生しか見られません。観光客が墓を鑑賞し、その規模と人間の存在感を感じ取っています。

 

ペルセポリスの基本情報

 

英語表記)Persepolis
登録区分)文化遺産
登録年)1979年
登録基準)(1),(3),(6)
登録国)イラン
登録地域)中東

 

ペルセポリスは紀元前に栄えたアケメネス朝ペルシア帝国の都市の遺跡です。
イランの乾燥し岩が多い一帯、2000年以上前に確かに存在したとされる宮殿群の石造りの柱や壁が残されています。

エジプト、マケドニア、そしてアケメネス朝ペルシア、大きく入れ替わる超大国の歴史を残す遺跡は、
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作、
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、
唯一のまたは少なくとも稀な証拠として文化遺産に登録されることになります。

さらに、
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連すると紀元前から現代まで続く歴史の証明としても高い評価を受けています。

 

ペルセポリスの地理

ペルセポリスは、中東の大国イランのファールス州に残る遺跡です。
ファールス州は乾燥した山岳地帯で、北西から南東に走るザーグロス山脈によって東西に分断された地域です。

北部と北西部の山岳地帯は、1年を通して乾燥こそしている地域ですが、夏の暑さと冬の寒さの差は少なく比較的穏やかな気候です。
中央部は冬が穏やかな雨季になり、夏は暑く乾燥しています。

南部と南東部は、中央部に近い気候で冬は穏やかですが、夏は中央部よりと厳しい酷暑に見舞われます。
イランの乾燥した気候は、洪水や微生物の活動による分解が穏やかで、古代の遺跡が残りやすい特徴があります。

ペルセポリスとアケメネス朝ペルシア帝国の歴史

ペルセポリスはアケメネス朝ペルシア帝国の都という説が有力視されています。

多くの世代が社会科の授業で見聞きしたことがあるアケメネス朝ペルシア帝国は、紀元前550年 -から紀元前330年の間、現在のイランやイラクの地域から西はトルコやギリシャ、東はインド北西部一帯までを支配下に納めた大国家です。

紀元前330年にマケドニアのアレクサンドロス大王によって国が滅ぼされるまでの間、貿易を栄えさせ離れた地域の交流を活性化したことが明らかになっています。
広大なアケメネス朝ペルシアの中で、ペルセポリスは行政と宗教行事の中心都市とされています。

紀元前509年から紀元前457年まで出来事が書き留められた公文書によると、ペルセポリスは帝国の新年祭の会場とされ、諸民族からの貢納を受け取り、王族が行事を取り仕切る場所と書かれています。
また、天文観測所としての機能も持ち、暦の制定に重要な役割を持ったと考えられています。

これらの宗教行事は、紀元前486年から紀元前424年までは行われていることも明らかになっています。

ペルセポリスとマケドニアのアレクサンドロス大王

アケメネス朝ペルシア帝国は、紀元前331年、マケドニアのアレクサンドロス大王の侵攻によって変わり果てた廃墟に姿を変えることになります。

現在はタフテ・ジャムジード(ジャムシードの玉座)と呼ばれる遺跡が発見され、石造りの建造物が当時の都市の発展を物語っています。

また、アケメネス朝ペルシアを滅ぼしたマケドニア側の記録では、ペルセポリスで押収した財宝は、当時のアケメネス朝の首都とされるスサで獲得した黄金の3倍にも上る量であったとされています。

経済と外交に関わる首都スサに比べて、多くの財宝が保存されていたことは、ペルセポリスが帝国崩壊直前の時期でも重要な都市とされていたことの証でもあります。

一方、古代ギリシアの歴史家クレイタルコスの『アレクサンドロス伝』では、ペルセポリスがアケメネス朝の王都の名として書かれており、経済と外交のスサ、行政と宗教行事のペルセポリスのどちらかが首都であったかについては、歴史書によって違いがあります。

ペルセポリスへのアクセスと観光情報

イランへのアクセス方法

イランへのアクセスは、主要都市であるテヘランのイマーム・ホメイニ国際空港を利用するのが一般的です。多くの国際便がこの空港に到着します。

ペルセポリスまでの交通手段

テヘランからペルセポリスへは、飛行機でシーラーズまで行き、そこからバスやタクシーで約1時間半の距離にあります。
シーラーズは、ペルセポリスを訪れる観光拠点として便利です。

観光シーズンと気候

ペルセポリスを訪れるのに最適な時期は春(3月から5月)と秋(9月から11月)です。
この時期は気候が温暖で観光に適しています。夏は非常に暑く、冬は寒いので避けるのが良いでしょう。

ペルセポリスを訪れる際の注意点

服装の注意点

イランでは、男女ともに適切な服装が求められます。
女性は頭を覆うスカーフと体のラインが出ないゆったりとした服装を着用する必要があります。
男性も短パンやタンクトップは避け、長ズボンとシャツを着用することが望ましいです。

現地の文化とマナー

イランは文化と伝統を大切にする国です。
訪問者は地元の習慣やマナーを尊重し、公共の場での行動に注意を払うことが重要です。

安全情報と注意事項

イランは比較的安全な国ですが、政治的な情勢や地域ごとの状況によっては注意が必要です。
旅行前に最新の安全情報を確認し、現地での注意事項を遵守してください。

 

世界遺産検定公式過去問集(3級)からの例題

Q1.「ペルセポリス」に関する以下の文中の語句で、正しいものはどれか?

「ペルセポリス」は(1. アケメネス朝ペルシア)全盛期に(2. ラリベラ)が建設をはじめた年である。壮大な都市群が立ち並び、玉座殿の入り口には(3. ユダヤ教)の最高神のレリーフがある。帝国は繁栄を誇ったが、前330年前に(4. チンギス・ハン)によって滅ぼされ、ベルセルポリスも炎上して廃墟となった。 (p32,2018年6月世界遺産検定3級より)

1. アケメネス朝ペルシア
2. ラリベラ
3. ユダヤ教
4. チンギス・ハン

答え:(1)アケメネス朝ペルシア

ペルセポリスのまとめ

ペルセポリスのお話はいかがでしたか?
世界遺産検定の過去問は、どれも有名な出来事や人物が取り上げられ難しかったのではないでしょうか?
中東の歴史ある大国イランのペルセポリス、世界情勢的に気軽に旅行で訪れることができるのは、まだ先なのかもしれません。
現代へと続く歴史の転換期を物語る遺跡、遠い地域の遠い時代を思い浮かべながら、覚えておきたいですね。

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