日本世界遺産平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群

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岩手県南部の中尊寺金色堂は、学生の頃に修学旅行で訪れた方も多いのではないでしょうか?
平安時代後期に建立された中尊寺は、900年の時を経て、当時の思想と文化を語り継ぐ遺跡として2011年に世界遺産に登録されています。

今回は世界遺産検定でも出題される用語を、当時の歴史とともにまとめさせていただきました。

前回の記事は 石見銀山とは?日本の世界遺産に登録された銀山の歴史と魅力に迫るでした。

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こちらもご覧いただくとよく理解できると思います。

平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群とは?

 

英語表記)Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the
Buddhist Pure Land
登録区分)文化遺産
登録年)2011年
登録基準)(2), (6)
国内の登録順位)No.16

 

平安時代の豪族奥州藤原氏が築いた中尊寺、平安時代から鎌倉時代にかけて整備された仏教建築物、浄土の風景を再現した庭園跡地の多くが文化遺産として登録されています。

国宝にも指定されている中尊寺金色堂は、1124年に奥州藤原氏の藤原清衡によって築かれました。

平安時代から鎌倉時代にかけて、仏教の中心は京都府や奈良県などの近畿地方でした。

京都府で流行している文化を忠実に再現し、さらに地域の風習に合わせて変化させた点は「2.ある期間、文化圏で人類の価値の重要な交流を示すもの」として高く評価されています。

 

奥州藤原氏と平安から鎌倉時代の仏教思想

「平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」を知る上で欠かせないのは、奥州藤原氏と当時の仏教思想で広まった浄土思想です。

 

地方政権「奥州藤原氏」とは?

奥州藤原氏は1087〜1189年の平安時代から鎌倉時代にかけて、東北地方一帯を実効支配していた独自性の高い地方政権です。

奥州藤原氏の始まりは、平安時代後期に奥州の支配権を巡り、当時奥羽を実質支配していた清原氏が消滅し、藤原清衡を筆頭とした藤原氏によって東北地方一帯が統一された後三年の役がきっかけです。

東北地方一帯を統一した藤原清衡は、当時の奥州で産出された砂金を元に東アジア大陸を含む北方地域との間で行った北方貿易で安定した経済基盤を築きます。

その経済力は、奥州17万騎と言われた強大な軍事力、中央政権との間で確立した政治的中立を背景に、本州全体が戦乱に包まれた源平合戦の最中も平穏な地方政権と文化を培ってゆきます。

藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡と4代にわたって100年続いた奥州藤原氏が拠点を構えたのは現在の岩手県でした。

平泉とよばれ整備された都市は、当時の首都にあたる京都の平安京に次ぐ日本第二の都市として1105年)に中尊寺、には1124年には中尊寺金色堂が建立され文化と思想の面でも注目される地域に発展します。

 

平安から鎌倉時代にかけての仏教

奥州藤原氏が治める東北地方から届く離れた近畿地方では、当時の仏教界に大きな変化が訪れていました。

奈良時代に戒律や出家の制度が整備された奈良仏教、平安時代初期に伝えられた天台宗と真言宗に加え、新しい宗派が現れ始めます。

令和の現在も教えが伝えられ、お墓参りや法事で馴染みのある浄土宗・浄土真宗・時宗・法華宗・臨済宗・曹洞宗は平安時代後期から鎌倉時代にかけて人々の間に広まりました。

中でも、「南無阿弥陀仏」と唱え極楽浄土の阿弥陀如来に救済を願う浄土宗は、一般市民が取り組みやすいことから瞬く間に日本各地に広まりました。

阿弥陀如来が治める極楽浄土を再現し、来世を願う浄土思想は、当時の有力者にも影響を与え、「見てわかる」形で理想郷を表現する中尊寺の平等院鳳凰堂のような建築物が建設されることになります。

 

世界遺産検定公式過去問集(4級)からの例題

Q1.「平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」に関し、平泉は藤原清衡がどのような思想に基づいて築いた理想郷でしょうか。

(引用元:p65,2018年3月世界遺産検定4級)

1. 平安思想
2. 浄土思想
3. 天界思想
4. 永遠思想

答え:(2)浄土思想

 

 

Q2.「平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」に関する次の文中に当てはまる語句として、正しいものはどれでしょうか。

(引用元:p77,2018年7月世界遺産検定4級)

平泉は「奥州( )氏」と呼ばれる一族の政治・行政の拠点として、100年にわたり繁栄しました。
一族が築いた寺院などが「平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世
界遺産に登録されています。

1. 足利
2. 源
3. 豊臣
4. 藤原

答え:(4)藤原

 

Q3.「平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」に関し、平泉の地に浄土思想に基づいた理想郷を築いた人物は誰でしょうか。

(引用元:p87,2018年9月世界遺産検定4級)

1. 平清盛
2. 徳川家光
3. 藤原清衡
4. 空海

答え:(1)平清盛

Q4.「平泉」関する次の文中の語句で、正しくないものはどれでしょうか。

(引用元:p105,2018年12月世界遺産検定4級)

平泉は(1. 平清盛)がこの世に仏国土(浄土)をつくりあげるために、(2. 浄土思想)に基づいて築いた理想郷です。その中心として建立された(3. 中尊寺)は、「平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」に含まれています。平泉は(4. 金)や馬の産地として栄えました。

1. 平清盛
2. 浄土思想
3. 中尊寺
4. 金

答え:(1)平清盛

平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群のまとめ

世界遺産、平泉のお話はいかがでしたか?
世界遺産検定の過去問は正解できましたでしょうか?

日本史の授業で聞き覚えのある用語も、振り返ってみるとなかなか思い出せないものです。
世界遺産の中でも、文化遺産は建築物にまつわる歴史や思想についての出題が多いといえます。

あらためて、当時の一般市民の暮らしを想像しながら、歴史を学び直してみたいものですね。

次回の記事は  日本のシンボル富士山の歴史と文化・世界遺産としての価値信仰と芸術の源泉です!お楽しみに!