世界遺産ランス・オ・メドー遥か過去を旅しヴァイキングの足跡を辿る

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カナダの文化遺産「ランス・オ・メドー国定史跡」は、アメリカ大陸へヨーロッパ人が初めての訪れた事実を物語る歴史的な遺跡とされています。
今回は、アメリカ大陸の発見と関係の深いノース人(ヴァイキング)の歴史も交えて、歴史的な文
化遺産をまとめさせていただきます。

前回の記事は アーヘン大聖堂の輝かしい歴史と世界遺産への道:深掘りガイド
でした。

ヴァイキングの遺産:ユネスコ世界遺産ランス・オ・メドーを探る

ランス・オ・メドー国定史跡はカナダのニューファンドランド島北端に位置し、ヴァイキングによる北アメリカ大陸への最初のヨーロッパ人の到達地点として知られています。

約1000年前に建設されたこの地は、ノルセ人(ヴァイキング)の探検家たちが「ヴィンランド」と呼んだ地域の一部であり、北米大陸におけるヨーロッパ人の最初の恒久的な足跡を示しています。

ランス・オ・メドー世界遺産の価値

この史跡の歴史的価値は、新世界におけるヨーロッパ人の存在を証明する最初の考古学的証拠であることにあります。
1960年代にヘルゲ・イングスタッドとアンネ・スティネ・イングスタッドによって発見された後、多くの建物の遺構や文化的な遺物が発掘されました。

ノルセ人の足跡を辿る:ランス・オ・メドーの遺跡と遺物

ランス・オ・メドー国定史跡は世界遺産です。
1978年にユネスコの世界遺産リストに登録されました。
ランス・オ・メドーは、ヴァイキング(ノルセ人)による北アメリカ大陸への最初のヨーロッパ人の到達地点としての歴史的重要性を認められています。

この地は約1000年前にノルセ人によって建設されたとされ、新世界におけるヨーロッパ人の存在を証明する最初の考古学的証拠を提供しています。
そのため、ランス・オ・メドーは世界遺産としてだけでなく、ヨーロッパとアメリカ大陸の歴史的な接点、そして異文化間の交流の証としても非常に重要な場所です。

ランス・オ・メドー国定史跡,歴史、価値、世界遺産、場所、日本からのルート

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旅の準備:日本からランス・オ・メドーへのアクセス方法

場所としては、カナダのニューファンドランド・ラブラドール州にあり、最寄りの町はセント・アンソニーです。

日本からランス・オ・メドー国定史跡へのルートは、まず飛行機でカナダの主要都市(例えばトロントやバンクーバー)へ行き、国内線でセント・ジョンズやディアレイクに移動し、そこから車でランス・オ・メドー国定史跡へ向かいます。
全行程には複数の乗り継ぎと長時間の移動が必要です。

日本からランス・オ・メドー国定史跡への旅行ルート案内

ランス・オ・メドー国定史跡は、カナダのニューファンドランド島の北端に位置する、ヴァイキングによる北アメリカ大陸最古の知られているヨーロッパ人の定住地跡です。
この場所は、約1000年前にノルウェーから来た探検家たちが「ヴィンランド」と呼んだ地域の一部であり、彼らがアメリカ大陸に足を踏み入れた最初の証拠を提供しています。

この歴史的な重要性から、ランス・オ・メドーは1978年にユネスコの世界遺産に登録されました。

この史跡の価値は、単に歴史的な発見にとどまらず、ヨーロッパとアメリカ大陸の文化交流の初期の証拠としても重要です。
ヴァイキングの建築技術や生活様式を反映した遺構は、当時の人々の生活を垣間見ることができる貴重な資料となっています。

また、この地は、ヨーロッパ人による新世界への拡大の先駆けとなった場所であり、後の大航海時代へと続く歴史の流れを象徴しています。

日本からランス・オ・メドー国定史跡への旅行は、長い距離を要しますが、その歴史的な価値と美しい自然を体験するためには、その労を惜しむべきではありません。

まず、日本からカナダへの主要な航空ルートは、東京や大阪からバンクーバーやトロントへの直行便が利用可能です。
これらの都市に到着した後、国内線に乗り換えてニューファンドランド島の最大都市であるセントジョンズへ向かいます。

セントジョンズからランス・オ・メドーへは、車での移動が一般的です。
約700キロメートルの距離を、美しい海岸線や自然豊かな風景を楽しみながらドライブします。
このルートは、ニューファンドランド島の文化や自然を存分に味わうことができるため、旅の一部としても非常に価値があります。

ただし、季節によっては天候が変わりやすいため、事前に天気予報を確認し、適切な準備をすることが重要です。

ランス・オ・メドーに到着すると、ヴァイキングの歴史に触れることができるだけでなく、周囲の自然環境も楽しむことができます。

夏季には、ハイキングや野生動物の観察がおすすめで、冬季には雪景色の中でのスノーシューイングなどが楽しめます。また、この地域は、地元の人々の温かいもてなしも魅力の一つです。

日本から遠く離れたランス・オ・メドー国定史跡への旅は、時間と労力を要しますが、世界遺産としての歴史的な価値と、ニューファンドランド島の壮大な自然を体験することができる、忘れがたい旅となるでしょう。

ランス・オ・メドーの世界遺産としての価値と保護

ランス・オ・メドー国定史跡は、カナダのニューファンドランド島北端に位置する、ヴァイキングによる北アメリカ大陸最古の知られているヨーロッパ人の定住地跡です。

この場所は、約1000年前にノルウェー出身の探検家レイフ・エリクソンによって設立されたとされ、北米大陸におけるヨーロッパ人の歴史を塗り替える発見となりました。

この史跡の価値は、単にヴァイキングが新世界に足を踏み入れた証拠を提供するだけではありません。

ここには、彼らが使用した鍛冶場や住居の跡が残されており、当時の生活様式や技術、交易の様子を伝える貴重な情報源となっています。

また、ランス・オ・メドーは、ヨーロッパとアメリカ大陸の文化交流の初期の証拠を示す場所としても重要です。
これらの遺跡は、ヴァイキングがどのようにして新しい土地を探検し、定住しようとしたかを理解する上で、欠かせない情報を提供しています。

保護の観点からも、ランス・オ・メドーは特別な注意を要する場所です。
世界遺産としての地位は、この地域を保全し、将来世代に伝えるための国際的な努力を促進しています。
カナダ政府は、この歴史的な場所を守るために、継続的な調査と保全活動を行っており、訪れる人々にはその歴史的な意義を理解し、尊重するよう求めています。

 

ランス・オ・メドー国定史跡の歴史とヴァイキングの遺産

ランス・オ・メドー国定史跡は、カナダのニューファンドランド島北端に位置する歴史的な場所であり、ヴァイキングによる北アメリカ大陸への最初のヨーロッパ人の到達を示す重要な証拠が残されています。
この地は、約1000年前にノルウェー出身の探検家レイフ・エリクソンによって「ヴィンランド」と名付けられたとされ、彼らが一時的な入植地を築いたことが考古学的な発掘によって明らかになりました。

発掘された歴史:イングスタッド夫妻による発見

この史跡の発見は、1960年代にノルウェーの探検家ヘルゲ・イングスタッドと彼の妻アンネ・スティネ・イングスタッドによってなされました。

彼らは、地元の伝承とヴァイキングの古文書を基に調査を行い、多数の遺構を発見しました。
発掘された遺物には、鍛冶場、住居跡、工房などが含まれており、ヴァイキングがこの地で生活していたことを物語っています。

ヴァイキングのヴィンランド:新世界の最初のヨーロッパ人

ランス・オ・メドーの価値は、単にヴァイキングの存在を示すだけではありません。
この地は、ヨーロッパとアメリカ大陸の文化交流の最初の証拠ともなっており、世界史における重要な接点を示しています。
そのため、1978年にはユネスコの世界遺産に登録され、世界的にもその価値が認められています。

ランス・オ・メドー国定史跡は、カナダの大自然の中にひっそりと佇んでおり、その周囲は豊かな野生生物と美しい景観に囲まれています。
訪れる人々は、ヴァイキングの歴史だけでなく、自然の美しさも同時に楽しむことができます。

 

この歴史的価値から、1978年にユネスコの世界遺産に登録されました。

 

ランス・オ・メドー国定史跡の基本情報

英語表記)L’Anse aux Meadows National Historic Site
登録区分)文化遺産
登録年)1978年
登録基準)(6),
登録国)カナダ
登録地域)北アメリカ

 

ランス・オ・メドー国定史跡は、ヨーロッパ人が初めての北アメリカ大陸を訪れた形跡が残る遺跡
とされ、1978年に世界文化遺産に登録されています。

遺跡には、住居や生活用具の他に鍛冶と溶鉱炉、船作りを支えた製材所など8つの建物が登録
されています。

過去問で問われる掘り下げ情報の記載

世界史を学ばれた方は、ここで疑問を持たれるかもしれません。
アメリカ大陸を発見したのは、探検家コロンブスという説が常識とされていたからです。

アメリカ大陸を発見したのは誰?

ランス・オ・メドー国定史跡のあるカナダ、アメリカ、メキシコがある北アメリカは1492年10月12日、クリストファー・コロンブスがヨーロッパから大西洋を横断し、アメリカ大陸周辺の島であるサン・サルバドル島に到達したことが始まりとされてきました。
ただし、「正確に記録されている限り」ヨーロッパ人で最初の発見者という意味です。

全人類の中で、始めてこのアメリカ大陸を発見した人物がコロンブスでないことは明らかです。
なぜなら、コロンブスがアメリカ大陸を発見した時点で先住民が暮らしています。

約2.1万年前の最終氷期最盛期から、約1.2万年前の最終氷期終了までの間、アメリカ先住民族
の祖先は北アメリカに到達しています。

また、1100年ほど前に使用されていた青銅器や黒曜石などの遺物がアラスカスワード半島のエ
スペンベルグ岬の遺跡から発見されています。
これは、シベリアとアラスカの交流を裏付ける初めての物的証拠とされています。

この時点で、アメリカ大陸を発見した人類がコロンブスではないことが明らかです。
さらに10世紀頃、北ヨーロッパのノース人(ヴァイキング)、通称「赤毛のエイリーク」がアメリカ大陸北東部の島であるグリーンランドを発見し、その息子であるレイフ・エリクソンがカナダのニューファンドランド島を発見しています。

つまり、コロンブスがアメリカ大陸に到達する500年以上にはヨーロッパ人のノース人がアメリカ
大陸へと到達していたことになります。

ノース人(ヴァイキング)とアメリカ大陸

ここで1度、ノース人(ヴァイキング)について確認してみましょう。
ノース人は、現在の北欧地域で暮らす人々の呼び方です。
「北方からやってきた人々」という意味があり、中世ヨーロッパの中心地域であったフランス・ドイツ・イタリアから見て、北欧地域からやってきた人種という意味があります。

優れた造船と航海技術を持つノース人は、西ヨーロッパ、大西洋沿岸で防衛を活発に行い、一部
は海賊化しヴァイキングと呼ばれることになります。

ヴァイキングと聞くと、角の生えた兜を被った凶悪な海賊という印象がありますが、貿易や漁業を
仕事に防衛のために武装していたとされています。

ノース人(ヴァイキング)は、海上を移動し北大西洋の各地に新しい新天地を求めることになりま
す。
ランス・オ・メドーの入植地は、グリーンランド以外の北アメリカで、唯一ヴァイキングの入植地として確認されている遺跡とされています。

西暦1000年頃、ヴァイキングの航海者レイフ・エイリクソン(通称「赤毛のエイリーク」)は北アメリカに到着し、当時の居住地をヴィンランドと定め、数年間利用した記録を残しています。

このヴィンランドの記録の研究と、ランス・オ・メドーの考古学的調査で発掘された住居や道具な
どが一致したことから、2つの地域が同じ場所という説が有力視されています。
つまり、北アメリカ大陸へのヨーロッパ人の到来は、西暦1000年にヴァイキングがランス・オ・メ
ドーに居住したのが初めてということになります。

世界遺産検定公式過去問集(4級)からの例題

Q1・「文化的景観」の世界遺産における分類(A)と、「文化的景観」の説明(B)の組み合わせとして、正しいものはどれか?

(p36,2018年9月世界遺産検定3級)

1. A.自然遺産−B.異なる民族の文化が融合して形成された景観
2. A.自然遺産−B.人類が長い時間をかけて自然とともに作り上げた景観
3. A.文化遺産−B.異なる民族の文化が融合して形成された景観
4. A.文化遺産−B.人類が長い時間をかけて自然とともに作り上げた景観

答え:(2). A.自然遺産−B.人類が長い時間をかけて自然とともに作り上げた景観

 

 

ランス・オ・メドー国定史跡のまとめ

カナダの世界文化遺産「ランス・オ・メドー国定史跡」のお話は、いかがでしたか?

ランス・オ・メドー国定史跡はカナダのニューファンドランド島北端に位置し、ヴァイキングによる北アメリカ大陸への最初のヨーロッパ人の到達地点とされています。約1000年前に建設されたこの地は、北米大陸におけるヨーロッパ人の最初の既知の居住地であり、ノース人(ヴァイキング)の探検と拠点の証拠を提供しています

世界遺産検定の過去問では、登録された時期が古いこともあり、出題される頻度は高くはありま
せん。
歴史の研究と考古学的調査の進歩で、日本国内はもちろん世界中で歴史の常識は改められて
きました。
歴史の復習も兼ねて、世界遺産検定に挑戦されるのも、とてもためになることではないでしょう
か?