アフリカ大陸文化遺産ゴレ島の深い歴史的背景と世界遺産としての価値

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赤道直下の国セネガル。文化遺産5つと自然遺産2つが国内にある、アフリカでも上位の世界遺産の数を誇る国です。
アフリカ大陸最西端の首都のダカールに、セネガルで初めて登録された文化遺産ゴレ島があります。
西アフリカの温かな海風が吹き抜けるセネガルの沖合に浮かぶ小さな島、ゴレ島。
この島は、その小さな地形とは裏腹に、世界の歴史に大きな一ページを刻んでいます。
今回は、ゴレ島の魅力とその重厚な歴史について、ゆっくりと紐解いていきましょう。

美しい風景とともに、時には厳しい過去を持つこの島が、どのようにして世界遺産に認定され、多くの訪問者に感動を与えているのかを探ります。

前回の記事は 南米エクアドルキト市街地の魅力を再発見!世界遺産クイズで学ぶ街の歴史  です。

ゴレ島の概要と歴史的背景

ゴレ島は、その小規模ながらも重要な役割を果たしてきたセネガル沖の小島です。

この島は特に15世紀から19世紀にかけて、アフリカ西海岸の奴隷貿易の中心地として機能しました。

その過酷な歴史にもかかわらず、ゴレ島は独自の文化的アイデンティティを保持し、多様な文化が交差する場としての地位を確立しています。

この島は現在、その歴史的な重要性と独特の文化的景観で世界遺産に登録されており、世界中から多くの訪問者がその歴史を学び、文化を体験しに訪れます。

 ゴレ島へのアクセス方法

ゴレ島への旅は、セネガルの首都ダカールから始まります。
ダカールからはフェリーで約20分という近さにあり、日帰り旅行も可能です。

フェリーの運行は定期的で、特に観光シーズン中は頻繁に出航しています。
訪問者は事前にチケットを購入することが推奨され、特に週末や祝日は混雑が予想されるため、早めの手配が必要です。

また、島には限られたインフラがあるため、飲料水や日焼け止めなど、基本的な用品は自分で持参することが望ましいです。

ゴレ島の文化と現地の生活

ゴレ島の文化は、その歴史的背景から多様性に富んでいます。
奴隷貿易の歴史が色濃く残る一方で、アフリカ、ヨーロッパ、そしてアメリカからの影響が見られる建築様式や芸術が混在しています。

現地の住民は温かく、訪問者を歓迎する姿勢が強いです。
文化体験としては、地元の音楽やダンス、工芸品作りのワークショップに参加することができ、島の伝統を学ぶことができます。
また、地元料理を味わうことも、ゴレ島訪問の醍醐味の一つです。

ゴレ島の歴史的、文化的エッセンス

ゴレ島・世界遺産の基本情報

英語表記)Island of Gorée
登録区分)文化遺産
登録年)1978年
登録基準)(6)
登録国)セネガル
登録地域)アフリカ

 

セネガル共和国の首都ダカールの沖合い約3キロメートルに浮かぶ、東西300メートル、南北900メートルのゴレ島は1978年にセネガル初の世界遺産に選ばれています。

文化遺産の登録理由は、世界遺産の登録基準は、(6) 「顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連する」とされています。

ゴレ島はセネガルで初の文化遺産ではありますが、世界に誇れる世界遺産とは、また違う意味があります。

2003年、アメリカ合衆国のブッシュ大統領が訪問した際、会談の期間中、島民を退去させたことは国内で大きな非難を浴びました。

なぜなら、過去には奴隷貿易の拠点として栄え、1815年に統治国だったフランスが廃止するまで奴隷貿易の拠点とされてきたためです。

ゴレ島の世界遺産としての特徴

ゴレ島が世界遺産に指定されているのは、その独特な歴史と文化的重要性に由来します。
この小さな島は、美しい自然景観と共に、過去の重たい歴史を色濃く反映しています。

奴隷貿易の中心地としての役割から解放された後、ゴレ島は平和と学びの場として再生され、多くの人々にそのメッセージを伝え続けています。

ゴレ島の見どころ

ゴレ島には、その小さな面積にもかかわらず、訪れる価値のある多くの魅力的なスポットがあります。以下に、島の主要な観光地と文化活動をいくつか紹介します。

1. 奴隷の家

ゴレ島のもっとも象徴的な建物であり、かつては数多くの奴隷がアメリカ大陸へと送られる前の一時的な収容所でした。現在は博物館として公開され、その壁の中で起こった歴史に思いを馳せることができます。

2. セント・チャールズ教会

この教会は、島のコミュニティの精神的な支えであり続けています。その美しい建築とともに、地域の歴史の一端を垣間見ることができる場所です。

3. ゴレ島美術館

アフリカの芸術と文化に焦点を当てたこの美術館では、地元アーティストによる作品が展示されています。
訪問者は、現代アフリカ芸術の動向とその根底に流れる歴史的背景を学ぶことができます。

4. マーケットプラザ

地元の手工芸品やアート作品、食材を買うことができる市場です。ここでは、島の文化を色濃く感じることができるだけでなく、地元の人々との交流も楽しむことができます。

5. 文化ワークショップ

ゴレ島では、訪問者が地元の音楽、ダンス、工芸に触れることができるワークショップが定期的に開催されています。
これらの体験を通じて、ゴレ島の生き生きとした文化遺産を直接体感することが可能です。

これらの見どころを訪れることで、ゴレ島の豊かな歴史と文化の層を深く理解することができるでしょう。
それぞれが島の過去と現在をつなぐ重要な役割を担っており、訪問者にとって忘れがたい経験となるはずです。

 

ゴレ島に秘められた暗い歴史

セネガルで初の世界遺産ゴレ島は、悲惨な過去を現代に伝える負の世界遺産という役割もあります。

国内で暮らす多くの方が社会科で習ったことがある奴隷貿易について、改めて振り返ってみましょう。

 

セネガルの首都ダカールの地理

大西洋に面したセネガルの首都ダカール、天気予報の区分では、ステップ気候 (BSh)に分類され、雨の多い雨季は短く、乾燥し気温が高くなる乾季は長い特徴があります。

ゴレ島のあるダカールの8月の平均気温は24〜31℃と常夏の暑さが続き、1月の平均気温も18〜21℃と関東地方の春や秋の気温と同じくらいです。

ダカールの沖合い約3kmに浮かぶゴレ島は、27km2と日本国内では沖縄県の与那国島とほぼ同じに大きさです。

ゴレ島の自然の美しさと平和な雰囲気を捉えた風景。

ゴレ島の歴史

ゴレ島は、セネガルの海岸一帯にポルトガル人が到達した1444年以降、ポルトガル、オランダと立て続けに占拠されています。

さらに、イギリスとフランスが領有争いを繰り広げた結果、最終的にセネガルはフランス領とされます。

その後、15世紀に始まり、19世紀に当時のフランス政府によって廃止が決められるまで、奴隷貿易の中心的地域でもありました。

 

ゴレ島の残す暗い歴史

15世紀から19世紀の前半にかけては、大航海時代と呼ばれ、新しく開発された帆船が世界中を結んだ時代です。

かつてないほどの早さで文化が入り交ざり、数多くの新しい発見があった一方、人間の良くない一面も残す出来事も起こります。

それは、植民地支配と奴隷貿易です。

奴隷貿易は、主にスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国がアフリカ大陸とアメリカ大陸の現地住民を労働力として強制的に移動させ、道具のように支配していました。

新しく発見され、温暖で大規模農業に向いていたアメリカ大陸では、規模に見合った労働力を確保できずにいました。

ヨーロッパ諸国は、現地の大規模農場プランテーションにアフリカの住民を労働力になる奴隷として移動させ、現地で砂糖や綿花を仕入れる貿易を行うようになります。

移動させたといっても、開拓者としてではなく、労働力という商品として道具のように販売していました。

1450年代に入ると、セネガルのゴレ島をはじめ、ガンビアのクンタ・キンテ島、ギニアビサウのカシェウ、ギニア湾のベニンウィダー海岸、コンゴのサントメなどで奴隷貿易が活発に行われるようになります。

ヨーロッパ諸国の特許会社と呼ばれる団体は、現地に軍事施設と取引所、さらに収容所を築き、現地勢力が集めた奴隷を買い取って収容し、それをさらに船に売り渡すという形式で富を得ていました。

残念なことに、奴隷貿易を主導的に行っていたのはヨーロッパ諸国の団体ですが、直接住民を捕えて奴隷として売り渡していたのはアフリカ人の地元勢力でした。

奴隷貿易が始まって間もなく、戦争捕虜や身分制度などで、現地の制度下にある奴隷を捕え、特許会社に売却するようになったとされています。

奴隷貿易は約300年続き、アフリカ大陸からアメリカに渡った大西洋を住民は900万人から1100万人とされています。

アフリカ西海岸には、ヨーロッパ諸国の団体と現地勢力の間で取引が行われた施設が、奴隷の家、奴隷海岸という名前で残されています。

 

ゴレ島と奴隷貿易の関連性

ゴレ島は、その歴史の大部分において奴隷貿易の重要な中継点として機能していました。
この小島は、アフリカから新世界へと人々が強制的に移送された悲劇の証人であり、数多くの命の物語が交錯しています。
今日では、この過去が深い教訓として後世に語り継がれており、世界中の人々がその歴史を学びに来ます。

 ゴレ島における負の遺産

ゴレ島の奴隷貿易の歴史は、多くの文化において重要な意味を持ち続けています。
特に、「奴隷の家」や「帰還の門」といったスポットは、数えきれないほどのアフリカ人が自由を奪われ、未知の地へと送り出された場所として記憶されています。

これらの場所は今もなお、訪れる人々に深い感動と共感を提供し、奴隷貿易がアフリカ大陸の社会的、経済的構造にどのような影響を与えたかを示す証となっています。

教育的な観点からも、これらの負の遺産を通じて、差別や人権侵害の歴史について学び、未来への教訓とすることが求められています。

ゴレ島訪問の行き方と旅行のヒント

ゴレ島はその歴史的重要性だけでなく、その美しさからも多くの旅行者を惹きつけています。

このセクションでは、ゴレ島を訪れる際の具体的なアドバイスと旅行のヒントを提供します。

ゴレ島訪問の行き方

ゴレ島へはセネガルの首都ダカールからフェリーで容易にアクセスできます。
フェリーはダカールのポート・オブ・ダカールから出発し、約20分でゴレ島に到着します。

フェリーの運航は一日に複数回あり、料金も非常に手頃です。
しかし、季節や天候によって運行スケジュールが変更されることがあるため、事前に確認することが重要です。
また、島には限られた宿泊施設があるため、宿泊を予定している場合は早めの予約が推奨されます。
日帰り旅行が一般的です。

島内の移動は主に徒歩で行うことができ、島全体を探索するには数時間程度で十分です。

訪れる際には、適切な服装と歩きやすい靴を準備することが大切です。
特に、奴隷の家をはじめとする歴史的な場所を訪れる際には、敬意を表するためにも配慮が必要です。
また、ゴレ島は観光地としても人気がありますが、地元の文化や環境を尊重し、島の美しさを保つために持続可能な観光行動を心がけることが求められます。

ゴレ島は、その小さな面積からは想像もつかないほど多くの歴史と教訓を提供しています。
この島を訪れることで、過去の出来事が現在にどのように影響を与えているのかを学び、未来に向けてどのような行動を取るべきかを考える機会にもなります。

島全体が生きた教室のようなもので、訪れる人々にはそれぞれの場所から多くのメッセージが伝わってきます。
それによって、ゴレ島はただの観光地以上の価値を持つ場所となっています。

以上のヒントを参考に、ゴレ島への旅を計画し、その豊かな歴史と文化を存分に体験してください。
この小さな島が持つ大きな教訓を自らの目で確かめ、心に刻むことができるはずです。

 

世界遺産検定公式過去問集(4級)からの例題

Q1.「ゴレ島」を保有する国として、正しいものはどれか?
(p26,2018年7月世界遺産検定4級)

1.南アフリカ共和国
2.セネガル共和国
3.メキシコ合衆国
4.ギリシャ共和国

答え:(2)セネガル共和国

Q2.「負の遺産」と考えられる次の世界遺産のうち、正しいものを選べ。。

1. ゴレ島 – アフリカからの奴隷貿易の主要な中継点。
2. クラクフ歴史地区 – ポーランドの歴史的な都市中心地。
3. ナニワ公園 – 日本の大阪にある有名な都市公園。
4. ウェストミンスター宮殿 – 英国ロンドンにある、国会の議事堂として使用されている歴史的建造物。

 

正解:1. ゴレ島  解説:ゴレ島 はアフリカ西岸に位置し、アフリカから新世界への奴隷貿易の重要な中継点として使われました。この島の歴史は、人間の苦痛と抑圧を象徴する「負の遺産」として認識されています。

 

ゴレ島のまとめ

アウシュビッツ強制収容所や原爆ドームなど、人間によって引き起こされた悲惨な出来事を伝える遺跡や建造物は負の世界遺産とされています。

セネガルの文化遺産ゴレ島は、15世紀にはじまり19世紀まで続いた奴隷貿易の中心地でもあります。

地域の歴史とともに、人が何のために引き起こしたのか、その理由も合わせて忘れずに覚えておきたいものです。